アブ(ABU)の創業の歴史とAmbassaduerが制作されるまでの歴史を振り返りたいと思います。
Ambassaduerの誕生には戦争による経済の混乱があり、その歴史を乗り越えた人達の思いが込められていると思うと、なんだかロマンを感じさせられますね。
1880年~
時計技術者のヘニング(Hennning Hammarlund)がスウェーデン南部の町スヴァングスタで時計工場を建設する為にやってきました。
スヴァングスタには美しい川、モラム川が流れていました。
後のAmbassaduerのモラムシリーズの名前がこの川に因んだものであることは疑いようがありません。
1887年~
ついにヘニングが建設した時計工場ハルダ社(Halda)が完成します。
この工場の工場長兼設計者が、カール・オーガスト・ボーストローム(Carl August Borgstrom)で、後のABU社の創業者になる人物です。
ハルダ社の業績は好調で、小型時計とタクシーメーターの製造を行っていました。
タクシーメーターは輸出も好調でハルダ社は隆盛を極めました。
1918年~
1981年に第一次世界大戦が終結しましたが、この頃のドイツ経済は破綻しており、ハルダ社は紆余曲折を経て、銀行により売却されてしまいました。
1921年~
ハルダ社の倒産により、カール・オーガスト・ボーストローム(Carl August Borgstrom)は職を失い、銀行や友人、知人から借金をして息子のイエテとスヴァングスタの地に「AB Urfabriken」を設立しました。
後に「ABU」となる会社です。「AB」の意味は、二通りの説がありますが、ひとつは「株式会社」という意味であり、もうひとつは「August Borgstrom」の頭文字です。
さらに「Urfabriken」は時計製造業者という意味ですから、「時計製造株式会社」と、「オーガスト・ボーストローム時計製造」という意味のどちらかということになります。
名前の意味については、私の予想では後者だと考えています。
ABUは創業当時流行していた腕時計やハルダ社で作っていた電話の通話時間計の傍ら、新型タクシーメータの開発を手掛けました。
1926年~
新型タクシーメーターは「Record」という商品名で発売されました。
1934年に創業者のカールが63歳でこの世を去ってしまいました。
この頃、第二次世界大戦が勃発し、スウェーデンでは自動車の輸入やタクシーメーターの輸出が無くなりビジネスが終焉します。
息子のイエテはかねてより興味があった釣り具に着目しました。
モラム川で父カールと釣りを楽しんでいたからです。
当時スウェーデンで発売されていたキャスティングリールは全てアメリカ製品でシェークスピア、サウスベンド、フルーガーでしたが、第二次世界大戦により輸入がストップしたのも追い風となりました。
イエテはアメリカ製品のリールを買って調査し、スウェーデン初のキャスティングリールを作りました。
これは後にダイワがABUを分解しコピー製品を作ったのと似ていますね。
模倣から始まり、発展させることが大事だということでしょうか。
1941年、制作されたリールはタクシーメータと同じ名前の「Record」と名付けられ、Record1500、1600、1700、1800の4バージョンが制作されました。
1941年~
Record1000シリーズ発売以後、さらに機能を充実させた2000シリーズを発売しました。Record2000にはラインが引き出されるときに指でスプールを押さえていた代わりにプッシュボタン式スプールブレーキが搭載されました。
さらに1945年に発売されたRecord Sport 2100には、スプールフリー機構と遠心ブレーキ機構が搭載されました。
このRecord2000により1951年にスウェーデン王室御用達の栄誉を受けるとともに、リールに国王の徽章(きしょう)が付けられることが許されました。
この徽章が現在のABUのシンボルマークとなるのです。
1944年に工場長にエーケ・マーバルが就任しました。
エーケは新型リールの設計を行いましたが、目指したリールは部品品質を高め、無調整で誰でも組立ができるリールだったのです。
1952年、Ambassadeur誕生
エーケ・マーバルが最初に設計したリールが1952年に発売されたAmbassadeur5000だったのです。
搭載された機能は、遠心ブレーキ、フリースプール、レベルワインド、スタードラグです。革製のエレガントなケースと消耗交換部品が付属していました。
1952年に現在のベイトリールの基本機能はAmbassadeur5000によって確立されたのです。
Ambassadeur5000は当時、世界で最も高価なリールであり、約45USドルもしました。
因みにフルーガーやシェークスピアのリールは、当時30ドルでした。
王室御用達の威厳と、どのメーカーにも負けない自信が価格からも伺い知ることができます。
Ambassadeurの特徴であるカラーバリエーションですが、当時のリールにはニッケルメッキかクロムメッキのいずれかが一般的でしたが、このAmbassadeur5000はサイドキャップにアルミを採用したため、アルマイトメッキで色を変えることが可能になりました。
当初、レッド・ブラック・ゴールド・グリーンの4色を用意したところ、お客さんの人気投票ではグリーンが一番だったのを、イエテの鶴の一声でレッドを主流にすることが決定しました。
Ambassadeurは世界で最初の赤いリールとなったのです。
Ambassadeurは世界中に発売され、まさにリールで世界を結ぶ大使となったのです。
最後に
1952年にAmbassadeur5000によってベイトリールのベースが決まってから安価な日本のダイワやシマノ製品に市場を奪われるまで20年以上、Ambassadeur5000が市場の主役の座を守りました。
日本のベイトリールの黎明期もAmbassadeur5000こそがお手本になっており、内部構造は同じといっても良く、エクステリアに関しても徽章を真似たエンブレムが何故かついていたりしています。
参考文献:MFC Japan